トップブログに触発され日本の宗教やムラ社会を語る

http://www.from-estonia-with-love.net/entry/educationjapan

 

子どもと寝落ちして2時起きしてしまったので、夜遊びを楽しんでます。そろそろ寝ようと思ったのに、冒頭のブログ見つけて、勝手に乗っかりますw(無断で引用なので果たして大丈夫かわからない。問題があったらすぐに消すからごめんなさい。)

 

ブックマークで書こうとしたんだけど、長すぎて書けなかったので、自分のとこで書きます!ちなみにスマホで長文だからわかりにくくなるかも。

 

記事を読んで、面白かった。授業でウケるには過激なほうがよいよね、と。私も遊学で海外に少しだけ滞在して大学に少しだけ遊びに行ってたことがあったからなんとなく授業の雰囲気はわかる。…真面目に勉強してる人にはわかるなんて言ってほしくないだろうけど、でもわかる部分もあるのは理解してもらえるはず。

 

海外で学ぶと日本の宗教については結構確認される。日本では宗教の話はタブー視されることがなんだかんだあるけど、海外に出ると意識させられることはものすごく多い。そして自分の宗教を振り返る。

 

中学のときだったか、大学の英語の教科書だったかに「日本の宗教…仏教、儒教神道」と並んでいた。信仰者のパーセンテージの高い順に、アメリカやインドネシアなど各国の比較と共に掲載されているということだったがただ、(本当にそうなの?)となんとなくしっくりこなくて。

 

他の国からも有名なくらい、京都にはお寺が並んでいるし、だから日本は仏教なんでしょう?とスウェーデン人英語教師に聞かれた。そう聞かれて、私はあれは過去の遺物だ、と答えた。

  実家には仏壇があるけど、自分の家の宗派がどこか知ったのは18歳くらい、父方のじいちゃんが死んだときだ。母方の実家は別の宗派だったのも20歳すぎてお経が違うので気づいた。ただ、最近の住宅事情を鑑みても各家から仏壇がなくなっているのは和室がなくなってることからもわかるし、初詣に神社に行ってお参りするし、結婚式はこだわりのキリスト教教会で私はやってみたw遊学したときは教会で礼拝に参列するのが好きだった。個人的に自分の信仰はキリスト教が近いのかもしれない。

 

そんな中思い出すのは「八百神」。神道の考えだ。万物に精霊が宿り、神様に囲まれているんだよ、と。

それこそ昔流行った『トイレの神様』も理解できる。だからトイレに神様がいることも腹に落ちるし、草木や猫に魂が宿るのも神様、仏様、アラーの神も七福神バモイドオキ神もオッコト主様も受け入れられるwだって八百もの神様がいるんだもん。

 

もちろん様々な神を信じられることはすなわちどの神様についてそれぞれ深く掘り下げて学んでいないことかもしれない。

 

私が遊学時にお世話になった国際結婚されて海外で当時小学生の子どもを育てられた方は『日本では宗教を学ぶことはあまりないけど、こちらでは宗教を語れないなんてありえないから、難しい選択だったけど、宗教校に入れて学ばせてる』と言っていた。

 

日本人だから『宗教なんかどうでもよい』と考えることが多いけど、世界からみればその考え方は異質で、異端だ。それでも個人的に世界の戦争の多くは宗教が絡んでいると考えるため、一神教より日本の『八百神』の考えはベターだと感じる。

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一方、教育の場で、社会においては『個性を殺す』ことが求められてるのは確か。だって、教える方の都合として、やりやすいじゃん。親にしても長時間座って学んでくれるほうが助かるw 

子どもが大人しく、子どもも友だち100人できて楽しい、会社も将来の工員が優秀で嬉しい、国も工員が税金たくさん納めてくれて嬉しい、でみんな受け入れて回ってたのが多分『個人』て概念で崩壊したんだよ。だからみんな苦しんでるwこんなはずじゃなかったのにー、と。

なんでそんなに苦しむのかといえば日本のキーワードとして『ムラ社会』がある。

ムラ社会』って日本の社会を端的に表すいい言葉。一方でこれは本当に外国で説明するのは難しい。『ムラ社会』ってなんで発生したのかわかる人いる?なんで閉鎖的であることがグローバル化した現代まで続いているの?私はよくわからない。

政治的な抑圧?連帯責任?村八分?んー。『みんなでちゃんと年貢納めないと領主から罰せられる』…って考えてみればいつからあるんだろう。でも他国でも領主が変わるとか国王が暗殺されて危機に陥るとかあったはずなのに、なんで日本だけ特別『ムラ』が残った?儒教の【年輩者を敬う】意識がまだ続いているのかな。

 

【まあ、とにかくw】で実は初投稿は終わらせたけど、考えてみれば、『八百神を受け入れる』日本の神道信仰が、ムラを受け入れてるのかも。

例えば、先輩・後輩の概念って非常に強調されて、先輩に力がなくてもそれをサポートするのがよし、とされることは多々ある。年輩者は年輩というだけで敬う対象になるし、今でもお年寄りは敬う対象…という盲目的な意識が共有されている。年輩者当人もそれを信じており、若輩者はそれに従ってしまう。優先席も、優先席だからという理由で座らない人がいたり、年輩者に譲る『カタチ』に捕らわれ、『カラダの不自由な方に席を譲る本質』が見受けられない。なら、私はやめたらいいと思う。敬う対象は自分で決めたい。

…ってなかなか言えないのが『ムラ社会』か?んー。結局、今のトレンドもそうだけど、本音を話さないことが美徳とされるみたいで、家や親友にしか重い本音を語らないのがいいみたいで。結局出る杭を全国で打ち続けて個性を殺すことに注力してきて自分で考えず、集団を揃えることに執着した結果なのかもしれない。

 

世界を見て、世界に過ごすのも大事だし、そこから日本を振り返るのもものすごく学びがある。私もまた海外どっか遊びに行きたい。子どものトイトレ完了させて、しばらく時間潰せるようになったらいっぱい行きたい。エストニアにも実は行きたい。ていうか北欧ならロシアまた行きたい。ワールドカップには興味ないけどwワールドカップを機に日本人がロシアに行くのは嬉しいな。ロシアは日本人にほとんどすれ違わなくて、すごく驚いた。エルミタージュとか本当に素晴らしいのに。もっと金と時間と余裕が欲しい。また私も学生に戻りたいなぁ。

そんなわけで。

初投稿6月30日から若干改変しましたw少しは伝わりやすくなっているといいな。