『老後の資金もありません』…が。

こんにちわ、昨日頑張ったため、ちょっと気持ちに余裕があるura_love_JPNです。スターをつけてくださった方がいて、直近投稿を見てきました。


【『老後の資金もありません』感想。】

http://www.yama-mikasa.com/archive/2018/09/05


 …わかるなあ、と。


このセミナー、私の会社もイデコの導入説明の時にやらされました。(うちの会社は総務にやる気がなく、もーっと簡単な感じでしたが)


 投資が大事なのはわかるんですが、コツコツやって貯まらなかったらそれはもう国に頼るべきなんじゃないかなというのが私の持論です。日本では(私もそうですが)ナマポは嫌だと思われるけど、それは一つの選択肢として提供されてるわけだし、真面目にやって破綻したらそれは真面目に国にも税金納めて破綻してるわけだから国が救済すべきでしょ、と福祉職員の友人と集まると話したりしています。


ただその場合、国がジリ貧になると自分もジリ貧になる、というのは大前提。国もそうはさせたくないから投資に目を向けさせている、稼げる人間はちゃんと稼げ、と思っているだろうと考えるとやるべきことが見えるというか、覚悟も決まる。


嫌なら、いつ頑張るか。破綻していない『今でしょ?』。わかりやすい。


でもさー。頑張る必要、あるの?破綻して困る、生きれない。ここがわたしにはわからない。本当に生きれないの?


嫌な例だけど、今、被災されて途方に暮れている人たち、いると思う。2011年にもいた。その前、1995年にもいた。家がなくなり、資産が泥に塗れ、心の拠り所である人もいなくなった。でもみんな今も生きてる。

難しかった人たちもいる、今も苦しい人もいる。でも生きてる人も、結構いる。

だから大丈夫じゃないかと思ってる。頑張らなきゃいけないし、何にもなくなってしまうかもしれないけど、生きていればなんとかなるし、なんともならなければ死んでしまうだけ。でも、死ぬ前にできることは生きてる限り多分ある。いろいろできるはず。


あの頃と時代が違うとか、社会が変わってるとか、考えるかもしれないけど、それを言ったら冒頭の投資セミナーも『社会が変わるから』一つの人生のあり方として離してみればいい。


頑張らなくていい、というわけでなく、頑張るし、遊ぶし、それで定年退職迎えるときにどうしようもない状況ならそれなりに生きるしかない。そこに過度に不安を感じなくても、なきゃないでやっていくしかない。


私は自分で死を選ぶとか怖くてできないし、多くの人がそうだと思うし、そうであってほしい。(遺されるのは嫌だ)だったら貯めれたら貯めれたなりに、貯められなかったら貯められなかったなりに生きていくしかない。


私は旅行好きだから旅行代くらい残っていれば、数十万が残っていれば、多少希望を持って生き長らえられる気がする(今はそれ以上貯蓄あるし、元気に働けている)。だから不安はそんなにない。そんなことを思う。


ちなみに国の世話になりたくないなら計画的に移住しないと急がないともったいない。毎日の消費税も所得税も市民税も暮らしてるだけでお金はかかるからなあ。


そんなことを考えるだらだらした昼時でした。ではでは。


追記。私はなんだかんだでこの人が好き。頑張らない、欲張らない、楽しむ意識はこの人から学んだ気がする。