乳幼児〜小人への成長について

こんばんは、ura_love_JPNです。大学のレポートを書かねばと思いつつ、風邪気味で体調崩して投薬中(と言いながらほぼ症状落ち着いている)を言い訳にダラダラしています。しかも京都旅行にも出てきたと言うのにだぞ。元気じゃないか。

京都旅行、楽しかったです。前評判通り、今朝京都には雪が降りました。金閣寺に雪が積もっていました。と言ってもがっつりではなくうっすらに近い感じでしたが、綺麗ではありました。

というものの、私は実はそこまで金閣寺は好みではなく、本当にただ子どもが興味を持ったので連れて行きました。面倒くさいけどw見ておくと違うからね。

一方で子どもも思っていたよりも神々しさがなく(なんか重くないんだね、と迷言が出ました。どんなのを想像してたのか)これまた金閣寺をみた後のリクエストで連れて行った銀閣寺の方が好みだったとの評で、次に行くときも銀閣寺に行きたいなとのこと。銀閣寺に感動を覚えたようです。まあ、時代が違うと言うか金閣寺銀閣寺ではスタイルが完全に違うし、侘び寂びの趣が確立されたのは銀閣寺の時代だしねー、現代の感覚とあいやすいのかもね、と夫と話していました。

今回、金閣寺銀閣寺への拝観にしても思ったのは、うちの子は乳幼児から小人への階段を確実に登っているなと言うこと。

京都なんか子どもには面白くないかもなと、保険として鉄道博物館やら映画村の訪問も考えていたのですが、大人と同じように(多少ふざけながらではありますが)きちんとお寺をみたりお参りしたり感じることがきちんとできるようになってきていて驚きました。

もちろん移動のバスの中で寝入って起きなかったりはありましたし、テンション上がりすぎてちょっと他の人の邪魔になるなどはあるわ、的外れな想像して笑っちゃうこともあるわけですが、もはや面白さが感じられない場所でもぐずって早く帰りたいと言うことはなく、休憩に立ち寄ったお茶屋さんで抹茶スイーツを食べ、ご機嫌で鴨川を四条大橋から五条大橋まで歩いたり走ったりふざけて歩きました。家族三人寒い寒いと言いながらとてもとても楽しかった。その家族全員の楽しさや満足感は子どもがあまり手間がかからなかったことに由来していてちょっとお母さん買い物行ってくるからお父さんと待っててね、とか、お母さんと一緒にちょっとお父さんを待ってよう的な提案が本当にストレスなくできて、子どもも子どもであっちに行きたい、こっちも見てみたいを提案してくれるようになって、家族一団の自由度が高まっていた。親のことを信じて子どもでも提案してくれるとかこれは認めてもらえそうをわかって無理がない提案してくれると言うか。家族の一員として旅行に参加してくれている感じがあって本当によかった。

コロナの流行で思っていたよりも旅行できない世の中になってしまったわけだけど、ちょっと落ち着いたこの間に京都旅行に行けて、乳幼児だった時分から成長していることを感じられて本当に良かったなと。

…というわけでおそらくこれで今年の旅納めになると思うけどw来年はやっぱり奈良とか行ってみたいなぁと。京都は美しいけど、奈良の方が無邪気な信仰があると言うか原初信仰が残っている感があって好き。子どももこれだけ京都が楽しめたらきっと奈良も楽しんでくれると思う。あるいは奈良と京都で組み合わせるも時間やお金がかかるけどできそう。お金と時間があれば和歌山とか大阪も行きたいんだけどね。夢が広がる。

兎にも角にもオミクロン株の状況次第ではある。今のこの小康状態で落ち着いて欲しい。でも、ここ数日でまた感染者数は上昇トレンドが始まったし、年末年始で人の行き来が待ち構えていることを考えると年始早々激増の可能性はある。もちろん我々も京都旅行で引っかかっていないとも限らない。だからやっぱり一つ旅に出かけたら一休みするって習慣?作るのは重要だよね。旅に次ぐまたたび…はこれからの時代やるべきではないだろうなと感じる。うん。マイルールを作らなきゃな。

ちなみに、京都にはそれなりに人手がありました。新幹線もそれなりに混んでいました。京都の最盛期は嵐山の秋の行楽シーズンとかだと思うし、そのときは京都駅前はバスが20分くらい動かなかったりもしたけど、その時よりは全然少なくて(外国のお客さんがおらず)。ただ、人気店や人気の観光地に多少行列ができるくらいには賑わっていて、京都駅前は混んではいるけど、渋滞にはなっていなかったよ。うん。

うん、楽しかったです。また遊びに行きたい。でも今日はもう寝るw明日は早く起きてニチアサ特撮をみなくては。

すごい雑な日記だわ。でもいい。そろそろねる、ではではおやすみなさいー