30年前、小学生で『モヤモヤ病』だった私【入院〜手術〜その後】

  こんばんわ、ura_love_JPNです。前回から難病指定の『モヤモヤ病』について30年前の私の経験談を書いており、今回、その続きです。もう30年も経っており、当時の資料も残っていない中、信憑性もない本当の雑感ですが、まあ、見知らぬどこかの誰かには需要があるかもしれないので、ネット上に残しておこうと思います。

 とりあえず、前回はこれ。そして今回、この投稿でモヤモヤ病はおしまい。ちなみに手術や手術後の話も思いつくまま書くので、多少のグロやスプラッタ系表現もあるかもしれないので耐性ない方はご注意ください。

 

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   大病院で『モヤモヤ病』の診断を受けてから、あれよあれよと入院が決まり、検査入院は楽しく過ごしていました。

  小児科での入院を楽しみにしていたら脳神経外科の大人たちの大部屋で過ごすことになり少しがっかりもしました。(実は最近知人の子どもの見舞いで私が当時入院した病院に行く機会があったのですが、今その病院では小児科の病室も病気で区分されるようになったようで名前のあとに【脳外科】などの表記が見られたため、今なら小児科に入院できたんだろうなと←不謹慎ながらやはり羨ましい)

  子どもがいない見込みの脳外科病棟でしたが、当時脳腫瘍の男の子が入院していてゲームボーイのソフトを交換したことは一、二度ありました。が、やはりもうそこは男の子、女の子で付き合いにくくなる年頃だったこともあり、同じ病室の人たちと過ごす方が楽しかったです。脳外科の患者さんなのでみな結構大変な状態だった→ある方は額に真四角の傷跡があったり、ある方は言葉が少し不明瞭だったりしたわけですが、松葉杖をついたり、車椅子で屋上までみなで散歩に出て話をしたこともありました。日中に病室のカーテンが閉められることはなく、いつも誰かがおしゃべりをする明るい部屋でした。

  入院は、確かに検査は多かったですが、入院してまで毎日検査があったかといえばそんなに毎日検査はしていなかったような。ヨード液のようなドス赤黒い苦い液体薬を途中から毎朝飲む必要があり、ピクニック・フルーツ牛乳と混ぜてその苦さの配合バランスに一喜一憂しながら飲んでいたのは覚えてるけど、今となっては何の薬だったか。。

  そんな中、唯一覚えているのは【血管造影検査】!これはキツかった。

  脚の付け根から造影剤を注射で入れて、時間にして1時間半とか2時間くらいかけて脳の血管の写真を撮られる…というものだったはずですが、撮影のときに造影剤が発熱するのか、撮影されてるだろう部位だけが焼けるように熱い。後に親にした説明としては、首をちょん切られ、頭を半分に割られ、その片側だけ火にかけられた感じだよ、と。それが頭のいろいろな部位で延々と続くので辛いのなんの。でも、麻酔もかかってたのか、体が固定されていたのか動くこともできず地獄のようで、途中で疲れ果てて寝たのか意識を失ったのか、気がついたら技師さんから終わりの声がかかりました。基本的に親の宿泊はなかった中、その日だけは父親が宿泊してくれたのですが、夜に(医者の事前予告通り)ひたすら腰や背中が痛くなり、さすってもらったのを覚えています。

  その悪夢のような血管造影検査で病巣がわかったので手術が決まりました。手術が決まってからだと思いますが、頭を丸刈りにしました。手術部位だけ髪を剃る…という選択肢もあったようですが、中途半端に髪が残るよりも後のメンテもいいといわれたので迷いもなく丸刈りに。この経験は意外と多々ネタにできた→男子は丸刈りにすれば朝の時間とかもラクなんだぜ、知ってるか?的なドヤ顔に対し、私も丸刈りにしてたから知ってるよー的な受け答えができたり、その一方で闘病による剃髪でしんみりする気持ちも当然わかるのでいい経験でした。

  そんなわけで、手術当日、麻酔ガスで麻酔をかけました。朝10時頃から夕方まで6時間以上かかったはず。目がさめると青い帽子とマスクをした両親がいました。私自身も酸素吸入のマスクをしており、息苦しい。のでそれを外したいと主張したのですが、当然ダメw諦めて両親をなんとなく見送り、またウトウトしました。

  次に起きたら真っ暗な中、頭上だったか足元だったか、目を動かせば見えるところにネオン的にチカチカ光るICUの全体管理モニターがすぐそばに。違う方に視線をやっても眩しく、意識が朦朧とする中、それを時々見ては気を紛らわすものの、手術前日からの絶飲食で丸一日何も飲まず食わずでとにかく喉が渇いていて、看護婦さんを何かしらの方法で呼んで(体を動かせないのに、どうやって呼んだんだろう?ボタンがあったのかな?)喉が渇いたと主張するも朝になったら水分は採れるからそれまではダメだと言われる。しかし、酸素吸入のマスクで唇もヒリヒリするし、時間は確か4時か、5時。このままでは眠れない、酸素マスク外したい、我慢できないと二度三度ごねてwやっと唇を少し湿らせていいという許可が出たようで、唇を少し湿らせてもらって生きた心地がして、それを舐めながらうつらうつら。次に目が覚めて6時半ごろ?テレビを持ってきてもらえたので土曜の朝のアニメ(昔のアニメの再放送?)を見たはず。

  で、朝8時半くらいになったら親の待つ個室へ移動。ぐい飲み(急須状の器の口の部分にスポイトのような飲み口がついているもの)でまずは麦茶から。で、昼か夜かにはヨーグルトも食べ始めることができたはず。でもそのまえに体を少し起こしたときに気分が悪くて吐きかけたはず。イケると思っても無理はいかんです。

  その日はグダグダして過ごしたものの小学生の回復力はすごいもので翌日にはもうお腹減った等主張をはじめ、ぐんぐん良くなりました。

  一方、驚いたことは多分2日目か3日目、耳が痒く、何気なく耳をかいたら、指先に真っ赤な血の塊が。思いがけないホラー(スプラッタ?)でしたが、頭の手術して耳にも血が入っただろうし、当然…だったのかはよくわからないものの、印象的な体験でした。

  一週間程度して立てるようになり、歩く練習。次第に長く、二週間くらいで日常生活に戻れた…と思うけど忘れたなぁ。手術してからはさして問題なく、経過順調で退院できた…はず。

  ただ、自分が頭の手術をする、という大きな出来事を小学校低学年では言葉でしか理解できていなかったため、1年ほど経ってから自分の頭蓋骨が一部陥没していることに気づき、手術部位がそこだったことも忘れておりw若干パニックになったことも一応書き残しておこうww←当時【アメリカンクラッカー】にハマっていた私は手が滑った拍子にアメリカンクラッカーが頭にあたり、めっちゃ痛くてたんこぶの有無を確認していたら、頭蓋骨が一部陥没しいているのに気づき、アメリカンクラッカーで頭が割れた!と本気で思って心配したのです。。

  予後としては特に何も問題はなかったものの、社会人になってやはり疲れてくると脳が腫れるのか手術痕が多少痛んだり、またその痛みが発作時の痛みと若干似ているため、疲れがたまって頻発するとまた発作が起こるのではないかと不安を感じることはあります。そのため、やはり定期的に何らかの脳ドッグなどでチェックしてもらいたいなぁと思いながら、すでに30年経ちました。なので、私の場合は手術をして、モヤモヤ病はあっさり解決した…と言えるはずです。そしてその一方でやはり将来的なことを考えると脳卒中脳梗塞には備える必要がありそうだと感じながらもどうすればいいのか考えあぐねているところでもあります。まあ、やっぱり脳ドッグや精密検査を受けて相談するのが一番なんだろうなぁ。。

  ちなみに『モヤモヤ病』も遺伝傾向がある病気のようなので(多くの病気がそうであるように)子どもにも大きくなったら母親の病歴を伝えて、生きていく上でのヒントにしてあげられるといいなと思っています。

  さて、うまくまとめられませんでしたが、重くてまとまりのない長文を最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます。『モヤモヤ病』はあまり一般的ではない病気ですが、それなりにいろんな方に見知っていただき、小さな子供の脱力があった場合、重篤な症状が出る前に医師に相談いただけるようになるといいなと感じています。

 そんなわけで。最後までズブズブだった感もありますが、そろそろ私も寝ます。皆さんにも楽しい明日が訪れますように。おやすみなさいませー★